カルチャーブレーン 遠藤一夫氏インタビュー②

「飛龍の拳」と「スーパーチャイニーズ」

 

 その後自社販売のゲームとして企画したのが「飛龍の拳」と「スーパーチャイニーズ」です。タイトーの鈴木部長と社長が知り合いだったので、そこへゲーム企画を持ち込みました。鈴木さんからとりあえずゲームセンターでテストしてみようということになったんです。結構インカムがよかったんですよ。それでタイトーさんで販売することになったんです。
 それからアーケードゲームがだんだんビジネス的に厳しくなってきて、一方任天堂のファミコンがだんだん売れてきてました。
 
 そのころ社内でファミコンのゲームを作ろうということになって、ファミコン版の「飛龍の拳」と「スーパーチャイニーズ」を作りました。ちょうどそのころナムコさんと親しくさせていただいていたんですが、ある日私が会社に立ち寄ったんです。


 そのとき2タイトルのゲームのサンプルを持っていたので見てもらったんですよ。

 会社に戻ったら、ナムコさんから電話がかかってきて、社内の会議で持ち込んだゲームを販売しようということになったらしいんです。その後ナムコさんに呼ばれて、ゲームの説明をしました。それが初めてのファミコンゲーム「スーパーチャイニーズ」(1986年)です。