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回想のゲーム黄金時代(2)ソフトバンクとOh!シリーズ

ソフトバンクとOh! シリーズ

 

1980年代中ごろの日本ソフトバンク(現ソフトバンク)のおもな事業はパソコン(以下PC)ソフトの流通だった。

 

自社が取り扱っている商品の販売促進のために、PCメーカーの製品の解説や対応ソフトの情報を掲載する雑誌が必要となり、出版事業部ができたようだ。

 

あのころPCという新時代の到来を予感させる新しい商品が、大手家電、通信機器メーカーから相次いで発売されていた。

 

PCにはソフトがつきものだが、ソフトの流通はソフトバンクが最大手だった。その後ソフトウィング(元ソフトバンク社員がアスキーなどから出資を受けて設立)が設立される。

 

当時ソフトバンクは、Oh!シリーズの『Oh! PC』『Oh! MZ』『Oh! FM』など主要メーカーの雑誌のほかに、『Oh! PASOPIA』『Oh! HC』『Oh! HiTBiT』などの雑誌を刊行していた。誌名にはPCメーカーの機種名を冠していた。

 

Oh! PC』など有力誌が編集1部、『Oh! MZ』、『Oh! FM』などが編集2部、『Beep』『月刊情報処理試験』『Oh! HiTBiT』などが編集3部という事業部の組織構成だった。

 

Beep』には、ソフトバンクが全国のPCソフトショップに卸していたPCゲームソフトの販売促進という役割があったと思う。というのも、PCソフトの売り上げにおいてゲームの割合は高く、PCをけん引していたのはゲーム、というと言い過ぎかもしれないが、それなりの役割を果たしていた。

 

モバイルPCのスマートフォンを誰でも使うようになった現在、ゲームアプリの売り上げはアップルやグーグルにとって無視できない売り上げ規模になっている。ゲームがデバイスをけん引するという図式は今も昔も状況はあまり変わっていない。

 

1980年代の前半、私はオフィスコンピュータを使って制作する週刊誌の編集進行を担当していた。その経験からPCが会社や家庭に普及する時代が必ずやってくる。そう考えて、PC関連の出版活動に関わりたいと思いソフトバンクの出版事業部に転職した。

 

ソフトバンクに応募したのは、知り合いからソフトバンクが編集者を募集していると聞いたからだ。とくに理由はなかった。アスキーでもよかった。

 

入社した当時『Beep』編集部は、三番町東郷元帥記念公園前の薄暗くて湿気の多いビルの半地下にあった。ほとんどの編集部はそこにあったが、Oh!シリーズのなかでも売れていた『Oh! PC』の編集部は近辺の小ぎれいなマンションの一室にあった。 

 

Beep』の編集部に隣り合わせて『Oh! HiTBiT』『Oh! PASOPIA』の編集部があった。私が最初に配属されたのは『Oh! HiTBiT』だったが、この3つの編集部の奥に『Oh! MZ』『Oh! FM』の編集部があった。